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紙芝居師の逝去 [漫画関係]

知り合いの漫画家、宇佐見さんのブログにて、昨年の12月5日15時42分に、紙芝居師の方が亡くなられたことを知った。少し長いですが、ご紹介します。

紙芝居師:森下正雄さん逝く 声失っても子供に夢与え続け
「師走の5日、戦後60年近く、東京の下町で街頭紙芝居を続けてきた森下正雄さんが亡くなった。85歳。喉頭(こうとう)がんで声帯を摘出して声を失っても、自らの肉声が録音されたカセットテープを使い、旅立つ直前まで「黄金バット」を子供たちの前で演じた。
11月16日、上野・不忍池のほとりにある台東区立下町風俗資料館。約40人の子供たちの前に森下さんが立った。弟子の佐々木遊太さん(26)は、師匠が紙芝居の絵を「舞台」から抜くのに失敗し、床に落とすのを初めて見た。この日が最後の実演となる。5日後、森下さんに人工呼吸器が取り付けられた。兄弟子、田中久巳さん(60)が手を握ると、ぎゅっと握り返した。容体が急変した日、外は土砂降りの雨だった。(中略)森下さんは関東大震災直後の1923年10月、東京都荒川区に生まれた。昭和金融恐慌で、指し物職人だった父は商売に行き詰まり、紙芝居師に転じた。娯楽の少ない当時、日銭を稼げる紙芝居は失業者の受け皿ともなり、終戦直後には都内に約3500人、全国に約5万人いたとされる。父の後を継いだのは50年。菓子工場の仕事で旧満州(中国東北部)で終戦を迎え、4年間の厳しいシベリア抑留から引き揚げて来た後だった。(中略)高度成長期。テレビの普及とともに紙芝居人気は急激に落ち込み、生活は困窮した。(中略)弟子の佐々木さんは3年前、母校の慶応大湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)の文化祭で紙芝居に出合った。青空の下、芝生の上で子供たちが「アンパンマン」に見入っていた。「こんなに輝く瞳は見たことがない」。ウェブサイト制作などを手掛け、紙芝居とは対極に生きていた佐々木さんは06年1月、森下さんの紙芝居を見て感動、控室を訪ねて弟子になった。「紙芝居ってのは子供たちに勧善懲悪を直接語りかけ、善悪のけじめを持ってもらうのが役割なんだ」。師匠の教えは明快だった。(以下略)。」
2008年12月20日 23時03分 更新:12月20日 23時15分 毎日新聞

後継者の方がいるようで、よかったです。また、全国のあちこちで、全国紙芝居まつりが開催されたり、子どもの文化研究所が、紙芝居研究会の開催や、紙芝居史を調べているらしい。

子どもの文化研究所
http://www.kodomonobunnka.or.jp/

遅れましたが、ご冥福をお祈りいたします。
合掌。
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